人新世の「資本論」斎藤 幸平


「人新世」とは、新たな地質年代を意味しており、人間の経済活動が地球の表面を覆いつくした新たな時代のこと。

「資本論」とはマルクスの考え方で、資本主義を終焉させるということ。

つまり資本主義を終焉させないと、現在の人類の危機は脱しえない、という内容の本である。

SDGsやグリーンニューディール[1]、ジオエンジニアリング[2]などの環境にやさしいといわれることも「資本主義の延命化装置」に過ぎないと批判する。


本書の概要

はじめに

SDGsは「大衆のアヘン」である!

⇒SDGs(持続可能な開発目標)資本主義を延命させるための免罪符である。


第1章:気候変動と帝国的生活様式

産業革命以降人口増やエネルギー消費量、食料・・・などあらゆるものが加速していった。グローバルサウスといわれる地域から資源を略奪して資本主義は成長した。先進国にとって環境問題を見えづらくするとともに、環境汚染の多くをグローバルサウスに押し付けていった。

例えばヘルシー食品のアボカド、脱炭素社会に不可欠なリチウム・・・グローバルサウスにおいて多量の水資源を必要とする。


第2章:気候ケインズ主義の限界

気候ケインズ主義とは、環境問題をケインズ的な方法で解決するということ。つまりグリーンニューディールといったことで技術革新の元、経済成長しつつ環境問題を解決していく。

相対的に二酸化炭素を減らすエネルギー技術が開発されても、エネルギーを無尽蔵に使うことになれば、二酸化炭素排出と経済成長は切り離すこと(デカップリング)はできない。


第3章:資本主義システムでの脱成長を撃つ

これらの危機を打破するためには本気で「脱成長」に進むしかない。

資本主義では脱成長は不可能である。(相反している)


第4章:「人新世」のマルクス

資本主義社会の前時代には、コモンズという人々の集団があった。その地域では自由に狩猟などができ、お金も不要で、経済ということを考えずに暮らすことができる。

近世それを破壊してすべての人々をコモンズから追い出した。

ロシア革命はロシアが資本主義に入る前に前近代から社会主義に移行したが、それをマルクスは支持したのは、ロシアにコモンズがあり、それらの単位で労働者中心の世界ができると考えていたからである。結果的には1人に権力が集中し共産主義(コミュニズム)は崩壊するに至った。

コモンズを再建すれば脱成長の社会は実現する。

(ザスーリチへの手紙⇒ロシアは資本主義の発展を経ずに共産国家になりうるか?の答えがコモンズである。


第5章:加速主義という現実逃避

コミュニズムと経済成長を融合させた持続可能な社会を目指すことが、「完全にオートメーション化された豪奢なコミュニズム」である。これを加速主義という。システムが構築されれば、人は環境問題を気にせずに、いままでのような生活ができる。しかし、カーボンニュートラルなエネルギーが使いたい放題だとしたら、環境問題は解決どころか単なる先送りになるだろう。


第6章:欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム

資本主義の発展により、人々は無駄な消費をするようになった。そして資本家から搾取されていった。

資本主義を打ち破り、コモンズを回復せることにより「ラディカルな潤沢さ」を取り戻す必要がある。(かつてあったコモンズのように自由に使える共有物)その先に本来の自由がある。

ワーカーズ・コープ(労働組合)を推進するとともに、ワクチンや電力、水・・・などをコモンズにする必要がある。


第7章:脱成長コミュニズムが世界を救う

現在では、使用価値(本当の価値)> 価値(資本主義において投機の対象となり価格が上昇したもの)と価値が逆転している。

創造性を奪う分業の排除(昔の職人の社会に戻す)により自然と経済は失速し脱成長に向かう。

定常社会(ゼロ成長)も否定し、脱成長しかないとしている。


第8章 気候正義という「梃子(てこ)」

フィアレスシティー(恐れない都市):バルセロナでは2050年までの脱炭素化に対して分析と行動計画を備えたマニフェストを策定。⇒国の政策と真っ向から対立する。

気候正義と食料主権という言葉が最近のヨーロッパでは使われている。食料をコモンズとすることや、気候変動の解決でグローバルサウスに被害を押し付けない、ことが必要。


おわりに――歴史を終わらせないために

最新のマルクス研究 気候危機と資本主義の関係を分析していく中で、晩年のマルクスの到達点が脱成長コミュニズムであり、人新生の危機を乗り越える唯一の手段

たったの3.5%の人間が動くだけで社会は大きく動く。


晩年のマルクス

共産党宣言⇒資本論⇒MEGA(Marx Engels Gesamtausgabe)とマルクスの考えの変遷があり、当初の革命を起こして資本主義を打倒し、新しい体制で経済成長を達成する、という考えから、徐々にコモンズとか脱成長といった考え方に移った。

斎藤氏はさらに考えを推し進め、晩年のマルクスはエコロジーを深く考えていた、といっている。(ただし、これは氏の推論であると書には書かれている)

⇒マルクス本人はエコロジーのことは全く考えていなかった可能性もある。マルクス=エコロジーの救世主、というのがこの本の主題であるため、この本には違和感を感じる。


これからの社会をどのように変えるのか

戦後直後のエリート層がもてはやした「マルクス主義」を持ってきたのでは、現代人には拒絶されるため、エコロジーというキーワードで味付けを変えてきた。斎藤氏は、この本が売れるようになり、マスコミへの出演が多くなった。最近、氏は「グレートリセット」と言っている。共産主義者の使う「革命」を言い換えたものだ。

と批判をしつつも、するどい観点から書かれていると思うことがある。SDGsなどは「資本主義の延命装置」と言い切るところである。これは非常に的を射ていると思う。SDGsやカーボンニュートラル、二酸化炭素実質排出量0といった言葉が躍っているが、資本主義社会を基盤とした以上、100%環境に負荷を与えないことはあり得ない。(自然というものは100%リサイクルするが、人間は資本主義とともにあるためリサイクル100%は達成できなくなる。99%と100%は大きく異なる。自然は破綻しないが、人類は破綻する)

人間の欲望が資本主義を育てたのだから、その欲望を抑える以外に資本主義を脱することはできないと思う。

行き過ぎた資本主義が人類を破滅させるならば、その回避策として、世界中に日本の「里山」「里海」を輸出して破滅を回避することが考えられる。かなりスローな社会となる。財源は富裕層への課税。

脱成長というのは人類の本能に反するのですぐに破綻すると思う。スローな社会にすることが必要だと思う。

おそらく、資本主義社会に疲れた人、生産活動から引退した人などはスローな社会を望んでいるに違いない。

エッセンシャルワーカー(必要な職業に従事している人。対局はブルシットワーカー。エッセンシャルワーカーはブルーワーカーのことを言っているようだ)は仕事がきついわりに給料が安い、ということをこの本でも言っている。これも資本主義社会が発展した結果である。AIやロボットが発達してもこのようなにきつくて安い仕事はなくならないだろう。里山の管理とか国で仕事を作る必要がある。

資本論再考

マルクスが資本主義を批判してから、資本主義は様々な形態で現在に至っている。世界の主流は資本主義に間違いないが、その程度は国によってさまざまである。アメリカのように自由を基軸としたもの、日本のように官僚が統制しているもの、最近では中国の資本主義。

人間の本能は「お金」に無条件に反応すること。お金が増えると快感を覚える。これを広義の資本主義と考えると、資本主義は人間の本能に合致する。このような考えを発展させると、その資本主義の亜流に、社会主義や共産主義がある。

そう考えると、地球上の経済のほとんどが、強弱はあるにしろ「資本主義経済」である。ほとんどといったのは、一部未開の地域では、広義の意味においても資本主義が成り立っていないから。

斎藤氏は、お金が大事なことは否定していない。ただし、資本主義のような強欲を抑えて、共生社会になる必要がある、としている。しかし、この共生社会も巨大な資本の前では、すぐにつぶれてしまう。

人間の本能という極めてプリミティブなことを前提に「資本論」を見直さなければならない。マルクスを追いかけてもしょうがないと思うのだが。アダムスミスに立ち返る必要があると思う。



[1] 気候変動と経済的不平等の両方に対処することを目的として提唱された経済刺激策のことを意味する。 1929年の大恐慌からアメリカ経済の救済を図ったフランクリン・D・ルーズベルトの経済的アプローチと、再生可能エネルギーや資源効率などの現代的アイデアを組み合わせた政策である。

[2] 地球温暖化を抑えるために、地球の自然なサイクルを変えることができるとするテクノロジー。CCS、エアロゾルによる大気の冷却等。